萬福院について
萬福院について
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その昔、重秀法印により清洲の地に建立されたと
伝えられています。
安土・桃山時代(一五九六~一六一五)、
名古屋城の築城にともなう町づくりの一環、
所謂「清洲越」により、名古屋市中区南鍛冶屋町
(現在の栄三丁目)に移転。
その後頽廃しましたが、延宝四年(一六七六)
八世 政学の代に、新たに方丈、庫裡、山門を建立。
更に元禄四年(一六九一)護摩堂を建立、
不動明王、四天王を安置し、又 太神宮、天満宮を勧請して
当山の鎮守としました。
大正年間、成田山の大本山である新勝寺より、
不動明王ご分身を勧請(神仏の霊を移してまつること)し
ご本尊としました。同時に、従来の山号「潮音山」から
「成田山」に改め、成田山名古屋不動尊霊場となりました。
その後、太平洋戦争の戦火により堂宇を焼失し、
昭和三十年に再建。そして平成十四年現在地へと移転致しました。
本尊は丈六(約三メートル)の総檜造りの不動明王坐像。
真言宗智山派(総本山は智積院)に属しており、
千葉県成田市にある大本山成田山新勝寺の分院であり
『名古屋 栄の成田山』として多くの参詣を集めております。